瑠璃鳥がるりるりするよ~

瑠璃鳥がるりるりするよ~です。

身体の汗腺が退化しないように

最近は気温の差が激しくなりましたね。一日のうちでも朝と夕方で温度差が開くこともあって、上着の調整もたいへんです。


厚着をして出ていったのに、途中から暑くなってしまって困ったなんてこともよくあります。


私は汗っかきで上半身によく汗をかきます。最近は多汗症なんて呼ばれたりもしますね。でも、髪の毛にとっては身体に汗をしっかりかく習慣のある人のほうがいいようです。


こちらのサイト「髪 薄くなってきた」に紹介されていますが、夏になると顔汗や頭汗をかきやすい人がいます。


そのようなタイプの人は運動不足で身体の汗腺が退化してしまっているために、頭や顔の汗腺から汗を出して体温調整をしているそうです。「汗をかきたくない」といってクーラーの効いた場所ばかりにいると弊害があるんですね。


とくに女性はお化粧のこともありますし、髪の毛もサラサラのほうが夏でも涼しげに見えるかもしれませんが、それが習慣化してしまうと頭汗をかきやすくなるわけです。


頭汗によって皮脂が頭皮の上に固まると毛穴をふさいでしまい、髪の毛が正常に発毛しなかったり、抜け毛を発症したりする原因にもなるということですから、注意しなければなりませんね。


とはいえ、私も頭頂部のつむじのあたりが広がりつつあり、角度によってはハゲと呼ばれるようになったので、このごろ本気で髪のケアをしています。


私は暑いとついタオルでゴシゴシこすってしまったり、頭皮を指でガリガリかじってしまったりしてしまうんですが、あれが頭皮を痛める原因になっていたのかもしれませんから、最近は気をつけています。


ちゃんとケアすれば、加齢という避けられない問題があっても、ハゲになる時期を遅らせることはできます。


頭の紫外線対策として帽子も大切ですが、かぶったまま頭がむれてしまってはよくないので、暑い季節なら麦わら帽子をかぶって、汗をかいたらタオルでふいて換気、すぐにシャンプーというのがいいそうです。


頭皮ケアは繊細さが求められますね。

 

 

砧という名前の由来

東京都世田谷区にある東京都立公園「砧公園(きぬた公園)」に行ってきました。


首都高速に入る用賀インターチェンジのすぐ近くに入り口があります。ちなみに、世田谷区は多摩堤通り沿いや成城方面、そしてこの公園と「砧(きぬた)」という地名が幅広く使われています。


砧とは古くは7、8世紀のころから、朝廷に納める布を衣板(きぬいた)でたたいて柔らかくし、つやを出すために使っていた道具なのだそうです。


洗濯した布を棒や槌でたたいて柔らかくしたり、シワを伸ばすためにも使われたりしていましたが、日本ではアイロンが普及した明治時代に廃れたそうです。


昔は女性の夜なべ仕事として砧の音が響いていて、その布を染め、多摩川の清流にさらして洗ったそうです。そのような生活から由来しているんですね。


ちなみに、公園内にはひっそりと砧大塚というものがあります。古墳のように見えますが、この土を盛った塚の上で仏教の呪術が行われていたそうです。


1959年に大場磐雄氏により発掘調査された結果、遺物は鎌倉から室町期の土師皿や中世の通貨などで、上人塚や行人塚、念仏塚に類するものと推定されているようです。


木立の中にある姿は当時の姿を想像させてくれます。

 

 

世界に誇る円筒分水を見学

JR東日本南武線の久地(くじ)駅周辺から歩いて二ヶ領用水に向かいました。

 

途中で立ち寄ったのは国の登録有形文化財にもなっている久地円筒分水(くじえんとうぶんすい)です。


上河原・宿河原の堰で多摩川から取水した二ヶ領用水は久地駅付近で一旦合流して、ここへ流れ込みます。それを根方堀、川崎堀、六ヶ村堀、久地・二子堀の4方向へ分岐させるための施設なんですね。


二ヶ領用水の歴史は古く、江戸初期にさかのぼります。徳川家康の命を受けた小泉次太夫が、慶長2年(1597年)年から約14年の歳月をかけて開削した、多摩川で最古の農業用水路です。


円筒分水が築かれる前は水量をめぐる争いが絶えなかったそうです。

 

それが1941年(昭和16年)、久地円筒分水の完成で水をめぐる争いはなくなりました。この久地円筒分水を設計したのは、当時の神奈川県多摩川右岸農業水利改良事務所長の平賀栄治(1892~1982)さん。


円筒分水の目的にはもうひとつの意味がありました。

 

多摩川の支流である平瀬川は、大雨になると二ヶ領用水に流れ込んで洪水を引き起こしていましたが、この流れを二ヶ領用水と分離して、多摩川に直接放流することでした。


それを解決に導いた世界に誇る円筒分水なんですね。

 

 

 

おばあちゃんの思い出とともにあるもの

最近は漬物でも浅漬けを食べる人が増えましたね。


米糠、塩のみで、水を加えないで作るのがぬか漬けで、米糠、塩、水を混ぜたものを発酵させて「ぬか床」を作り、野菜を漬けるのが「ぬかみそ漬け」です。


私はぬかみそ漬けで育ったので、酸っぱくなったくらいの漬物が好きです。でも、いまはぬか床をさわった後の手のにおいがいやということで、女性もぬか床を用意するのを敬遠することもありますね。


たしかに、私もぬかをさわった後、手についたにおいが洗っても洗ってもとれなくて困った経験があります。


ずっとぬかみそ漬けを続けている母も、本人はいいのですが、まわりの人にわるいからということでビニル手袋をはめてかき混ぜるようになりました。


ぬか漬けを始めてから 手荒れが治りました!という人もいるくらいなので、あまり気にしなくてもいいんじゃないかなとも思いますが、たしかに昔のおばあさんの手からは、なんともいえない「ぬかみそ漬け」のニオイがしていたもので、それも思い出のひとつでした。


ちなみに、「ぬかみそ漬け」は野菜にもともと付着している植物性乳酸菌や酵母菌によって発酵するので栄養があるわけですが、浅漬け、千枚漬け、松前漬けのなかには発酵を伴わないものもあるそうです。


栄養価の高いものはそれなりに香りがするというわけですね。中華料理のひとつとして知られるザーサイも、代表的な発酵食品だそうです。

 

 

 

人工知能と人工生命、どっちが好きですか

上野の国立科学博物館へ出かけたとき、産業芸術展のゴマフアザラシ型のバーチャルペットと遊んだことがありました。


当時のものですから、撫でてやるとウ~、クイ~とノドを鳴らすだけでしたが、あれからバーチャルペットも進化しましたね。


ソニーの犬型ロボット「AIBO(アイボ)」は大人気となりました。国内で3000台を販売して以来、顔や形の違う5世代が発売され、日米欧で15万台以上を販売しました。


このようなペットの形をしたおもちゃタイプのものもあれば、動物・生命のような振る舞いを見せる人工生命もありますね。


私もそうなんですが、人工知能と人工生命はよく混同されがちなんですよね。人工知能はコンピュータに人間のような知能を実現させる技術であり、人工生命は人間によって設計、作製された生命なんですね。


たとえば、人工生命は遺伝情報を含む染色体を人為的に設計して、生きた酵母の染色体と入れ替え、「自然界には存在しない酵母を人工合成する」というのも人工生命にあたるんですね。


人工生命は実験室の中だけでこじんまりと作られるようですけど、暴走すると危険ですね。昔からそのようなSF映画がたくさん作られました。


人間社会はこの先、人工知能や人工生命をちゃんと制御していけるのでしょうか。

 

 

 

その人のためを考えたら

お酒が好きな人はアルコール依存症のことが頭をよぎったことはあると思います。ほとんど毎日飲んで、お酒がないと物足りないと感じてしまう感覚。


もう10年以上前、冬の出来事でした。私はある男性の社長さんと打ち合わせをしました。


打ち合わせも終わり、まあ一杯、となりました。お店に出かける前に社長がこんなことを言いました。


「私ね、アルコール依存症なんですよ」
「えっ、じゃ飲まないほうがいいですよね。今日はやめておきましょうよ」
「いや、行きたいんだよね、これが。ハハハ!」


豪快に笑って私をお店に引っ張っていきました。社長はお酒を飲むとすこぶる饒舌になって話しました。


かつては仕事の打ち合わせも、一升瓶を横に置いてすませていたとか。さすがにほかの社員に悪いので仕事中はやめたのだそうです。


でも、夕方になると無性に飲みたくてしかたがないという気持ちになってしまうのだとか。飲んで乱れるような人ではなくて、とても明るい飲み会でしたが、飲みはじめると一軒や二軒で帰してもらえる雰囲気ではなくなっていきました(汗)。


かなり遅くまで飲んだことを覚えています。


帰りはもう社長もフラフラでしたが、それでも飲みたい様子でした。ああいうとき、ほんとはいっしょにつきあって飲んではいけないのだと反省したことを覚えています。

 

 

 

すすめられていろいろ考えるとき

いまどきの服は体の線が出るタイプのものが多いですね。


シャツを買いにいって「これはどうかなあ」などと悩んでいると、にこやかに見ている店員さんが近づいてきて言いました。


「お似合いですよ。今すごくいい感じで着ていらっしゃると思います。肩なんかちょうど(と、肩に触れながら)ここですから、サイズ的にもぴったりですよ」


ここでみなさん、葛藤がはじまりませんか。

 

人に誉められると、すぐにうれしくなってしまって「すごくいい感じで着ていらっしゃる」の言葉に酔いしれてしまう人もいます。私はそのタイプ。


お世辞だとわかっていても冷静に「ありがとう」と言える人もいるようですが、私はできなくてちょっと困った笑いを浮かべるだけです。


褒められたことに素直に喜べればいいんですが、心のどこかでこんな思いも。「お客さんとコミュニケーションをとるために言ってるだけで、本当は私が似合うかどうかは興味ないんじゃないの?」なんて。


きっと何を着てもこの体型じゃ同じだからなあ、と冷静に考えてしまいます。そして、「ちょっと帰って考えます。また来ます」と言って結局、その店から出てしまいます。


だから、立ち去り際がいつもどうしてもぎこちなくなってしまうんですよね。